プロフィール

プロフィール

はじめまして、yujiです。
普段はあまり自分のことを話すようなタイプではないのですが、このページだけは自分語りをしています。

ほんとに僕のことしか書いてないので、暇で仕方がないときなどに読んでいただければと思います。

~あらすじ~

逃げる人生を送ってきた僕が、ハワイに住んだり、ツイッターを頑張ったりして、ブログに出会って独立する話です。

※日々更新しているので、未完成です。内容もまとまっていないので、散文ですがご了承ください。

僕は、逃げる人生を送っています

何をしてもあまりパッとしない僕は、これまで挑戦してきたことを、何一つとして継続できませんでした。

たとえば以下のような感じです。

僕が途中で投げ出してきたこと
・部活
・受験勉強
・サークル
・アルバイト
・資格試験
・会社

このように、すべてのことを途中で投げ出してきました。

根暗で、とにかく耐える力がなくて、すぐ逃げ出したくなる性格です。

中学生の時の部活では、足の捻挫を理由に、ずっとサボっていました。
痛くもない足の治療のために、整骨院に通い続けていました。

高校時代は、受験勉強を理由に部活を途中で辞めました。
でも、勉強を頑張る気力もなくて、大学受験に失敗しました。

大学生時代には、興味のあったダンスサークルに入ってみました。
最初は楽しかったのですが、理由もなく飽きてしまい、幽霊部員になりました。
アルバイト先でも人間関係に疲れてしまい、嫌なやめ方をしてしまいました。

社会人になり、自分なりに資格試験を頑張ってみようと思いました。
FPの分厚い参考を2冊買いましたが、結局一度も開かないままです。

そして、会社にいる時間がつらくなり、笑顔でいられなくなりました。
泊りがけで働いていたのですが、ある日すべての荷物を捨てて、夜逃げしました。

その結果僕は「スキルも専門性もない、何も持たない者」でしかなくなってしまいました。

今思えば「学生時代にちゃんと学べばよかった」とか「もっと諦めずに続ければよかった」とか、そんな後悔ばかりが残っています。

勉強も中途半端。人とのコミュニケーション力もない。大した資格も持っていない。

そして「自分が何を目指して、何のために頑張ればいいのかがわからない」というような状態になってしまいました。

人生のひとつひとつの決定を親任せ・他人任せにしてきた結果です。

そして「自分が空っぽだ」という焦りをいつも感じていて、いつの間にか、自分のことがすごく嫌いになりました。

ハワイ留学の思い出

少し、学生時代の思い出を振り返ります。

大学に在学中、目標のない毎日から逃げるようにして、僕はハワイに留学しました。

自分で語学学校に申し込んで、学生ビザを発行して「これで人生が変わるかもしれない」と期待しながら日本を出ました。

そんな僕は、ハワイでたくさんのものに出会いました。

ハワイでの出会い
・その日暮らしをする人
・適当だけど心が広い人
・冬でもあたたかい気候
・その辺に生えているマンゴーやバナナやアボカド
・危機感のないカラフルな鳥

当たり前ですが、皆自由に生きていました。

そんな素敵な毎日を過ごす人たちに触れて、僕の心は次第に洗われていました。

そして僕は彼らを見習い、ひたすらサーフィンをして、ひたすらトレッキングをして、現地のおいしい料理を食べました。

僕の不安や悩みはちっぽけだなぁ。

そこで気が付いたのは、こうやってのんびり穏やかに暮らすことの大切さです。

「人間って、もっと人間らしく生きるべきだよなぁ」
「嫌なことから逃れて、穏やかに暮らしたいなぁ」

など、そんな望みをぼんやりと描いていました。

そして太平洋の真ん中に浮かんでサーフィンをしているときに「人間は小さいけれど、でもその短い一生の中で何かを成し遂げていくことができるのかもしれない。」などと考えたりしていました。

社会人の生活

ゆうじのプロフィール

時は進んで、社会人になりました。

そこで待っていたのは、激務の毎日でした。
一般的に言われるブラックな会社とはまた違った意味で、心が追い込まれる場所でした。

ここから先は、書いていいのかわからないのですが、、、問題があれば消します。

結局僕が勤めていた3年の間、休日は一度もありませんでした。
夏の朝は4時台に仕事が始まり、すべて終わるのは22時を過ぎてからでした。
これを、3×365日=1095連勤です。
そして手取りは3万5千円でした。

住み込みだったので家賃・食事は出ましたが、ゴキブリやムカデの出る古い木造の平屋に、16畳ほどのスペースに男10人で暮らしていました。
食事は200kcalほどの毎回似たようなメニューが与えられました。

毎日、雑巾のようなホコリまみれの布団で寝ていました。
敷地の外に出てはいけないルールがありました。
コンビニに行くことも管理者の許可が必要でした。

今考えても不思議な場所だったな、と感じます。
しかし当時の僕は「逃げちゃいけない」と考えて、必死に耐えながら次第に痩せていきました。

ゆうじのプロフィール(年収164万。ここから現物支給(食費?)と社会保険を引いて、手取り3万5千です。)

ここで言いたいのは、この職場はブラックではないということです。
労働時間も給与も常識外れですが、そこで働いていた人たちは、皆一人残らず幸せそうでした。

ただ問題は、僕だけが皆のように幸せを感じることができなかったこと。

それでも3年もの間そこにいたのは、同調圧力に負けてしまったていたからで、でも「何かがおかしい」と感じる自分が、周りから浮いてしまうようになり、次第に何が正しいのかすらわからなくなってしまいました。

そして、何も考えずに笑顔で暮らす周りの人たちが怖くなり、誰とも本音を話せなくなりました。

挑戦は小さなところから

僕は「何か人生を変えるきっかけを作らないといけない」という気持ちになりました。
これが、社会人2年目の頃です。

そこでまずは「小さく動き始めてみよう。」と思い、Twitterを始めてみました。

しかしいざツイートしようと思っても発信できることが何ひとつ見つからず、人に伝えられる信念を何も持っていないことに気が付きました。

社会人になるまで、何も積み重ねてこなかったこと。
そして社会人になって必死に働いても、その労働の結果、自分の手元には何も残っていないということ。

これが現実でした。

だからこそ、小さな努力を自分に積み重ねていくことが大切なんだ、ということを自覚しました。

それからは、時間を見つけて本を読むようになり、仕事中にこっそりYouTubeを聞き、オーディオブックを大量に購入して、むさぼるように聴き続けました。

まわりとの会話をやめて、無駄なお酒をやめて、年間100冊ペースで本をインプットしました。

そして同時に、同じように頑張る人を応援したいと思うようになり、毎朝Twitterでメッセージを投稿するようになりました。(これは今でも続けている大事な習慣の1つです。)

ブログを書きたくて、パソコンを買う

ゆうじのプロフィール

たくさんの知識を付けていくうちに、これからの時代はネットなんだということが、今更ながらわかりました。

そこでTwitterに加え、noteやYouTubeも投稿してみました。

その結果、色々やってみたのですが、全部ダメでした。

じゃあ次はしっかりした情報発信をしたいと思うようになり、ブログを始めました。

しかしパソコンがなかったので、おばあちゃんにお願いして買ってもらいました。
(この年齢で恥ずかしいけれど、手取り3万5千円では、10万円のパソコンを買う余裕はありませんでした。おばあちゃんには、本当に感謝しています。)

そして、このブログを始めることができました。

ブログは、22時に1日の勤務が終わってから書いていました。
遅いときは朝の3時までWordPressのことを調べたり、参考になるサイトを勉強したりして、気が付いたら朝4時となり、そして一日がまた始まりました。

大変でしたが、拘束されていた僕は、死に物狂いで時間を生み出すしかありませんでした。

また、16畳の古い木造家屋には、インターネットが通っていませんでした。
だから、スマホのテザリングで何とかパソコンを使っていました。(ポケットWi-Fiは高くて買えず、低速なインターネットでも、僕にとっては貴重な世界との繋がりでした。)

こうして、1日18時間の労働と、ブログを2時間頑張る生活を続けました。

僕はその2時間の中で、少しづつできることを増やしていきました。

パソコン音痴だったので、カチカチ人差し指で文字を打って頑張ってみたり、プログラミングも勉強してみたり、ライティングやマーケティングも勉強してみました。

どれも難しそうでしたが、次第に「やってみれば何とかなる」ということがわかるようになりました。

ブログが読まれるようになる

ブログが読まれるようになる

ブログを書く生活をはじめて、最初に悩んだことは、文章を書く才能がないことでした。

しかし、勉強するうちに書けるようになりました。

そして、次第にブログにアクセスが集まるようになり、それが嬉しくて現実から逃げるように没頭しました。

さらに、ブログで稼ぐ方法を知り、実践してみたところ、ほんの少しずつ稼げるようになっていきました。

最初の半年で稼げたのは、たったの3000円ほど。自分のセンスの無さに絶望しましたが、それでも嬉しくて仕方ありませんでした。

その後、時間がたつにつれて収益は伸び、当時の月給の3万5千円を超え、2倍→3倍と増えていきました。

仕事を辞める

ゆうじのプロフィール

時は進んで、社会人3年目。

何とか仕事と勉強を続けていたものの、無理な生活のなかで体とメンタルへの負担が積み重なりました。

だましだまし18時間の激務に耐えていたものの、体はさらに痩せて、疲れているはずなのに眠れなくなりました。

これまで何度も「やめた方が幸せになる」ということが頭をよぎりましたが、自分に逃げ癖があることが分かっていたからこそ「もう逃げちゃいけない」と強く心に決めていました。

弱い自分に戻りたくないからこそ、何とか仕事を続けようと努力してきました。

でも、それももう限界でした。

ある日突然、心の糸が切れてしまったような感覚がしました。

夜中の2時頃だったのですが、体が動くままに、僕は荷物をすべてゴミ箱に捨てていました。

そして、持てるだけの荷物を持って、職場を出ていました。

今思えば、無責任で取り返しのつかないことをしてしまったと思います。

引継ぎもできず、たくさんの方に迷惑をかけました。
心配して連絡をくださる方もいました。
でも、人が怖くて返事はできませんでした。

退職の手続きは人にお願いして、それ以降、職場には戻っていません。

僕はここでもまた、逃げる人生を繰り返してしまいました。

逃げの人生

プロフィール

会社から逃げて、絶望していた時期を自宅で過ごしました。

その間、毎日ブログを書くことしかできず、自分にできることを精いっぱいやりました。

会社を辞めてしばらく経ち、そして現在は積み重ねてきたブログからの収入で生活をしています。

これで良かったのかはわかりませんが、会社を離れて穏やかな時間を生きることができ、今はとても幸せです。

ブログは、誰にでもできることです。
自分の経験してきたことを、自分なりの角度からまとめて、人にわかりやすく伝えることができます。

例えば、僕は人生から逃げてばかりで、たくさんの失敗を繰り返してきました。

僕が途中で投げ出してきたこと
・部活
・受験勉強
・サークル
・アルバイト
・資格試験
・会社
・人間関係

このようなどうしようもない経験すらも、誰かの役に立つ。

逃げてしまった人の心の痛みがわかるから、ツイートで励ますことができます。
ブログの始め方を手探りで掴んできたから、ブログの書き方も説明できます。

だから、失敗ばかりの僕の人生を、少しずつこのブログにまとめています。

おかげでアクセスが少しづつ増え、情報発信をしながら食べていけるようになりました。

コツコツ積み重ねて、人生を変える

プロフィール

この恥ずかしいプロフィールを書いた理由は「ダメな yuji でも頑張れたんだから、自分にもできるかもしれない」と思ってくれる方が一人でもいれば、と思ったからです。

僕自身、たいした成果は出していないのですが、努力は裏切らないと信じてます。

僕は全てがうまくいかなくて、逃げてばかりの人生です。(現在進行形)
しかし、だからこそ今日もコツコツ努力を積み重ねつつ、人を励ましています。

人は、できないことが少しずつできるようになっていく生き物です。
時間がかかることもありますが、何歳になっても未来に可能性はあるし、今からでも絶対に遅くはないはず。

逃げ癖のある僕が、今のところブログだけは続けられています。

そして今後も頑張る人を応援していけたらなと、そんなことを目標にしています。

長くなりましたが、最後まで自分語りにお付き合いいただき、ありがとうございました。

もし、ここまで読んでくださった方がいれば、是非Twitterのフォローをお願いします。
毎日欠かさず発信しています。

ブログで稼ぐまでの流れはこちら
僕の人生を変えた読書法はこちら
ハワイで学んだ英会話の勉強法はこちら
プログラミングの勉強法はこちら

タイトルとURLをコピーしました